速水宗燕
茶道速水流
PROFILE
PROFILE
速水宗燕
1983年3月13日 うお座
趣味:学生時代は音楽、今はバスケットボールや水泳など、ご縁いただいたもの全てを気の向くままに楽しんでいます。ですが今は、何より速水宗達の考えに触れるのが趣味のようになっています。もっと書物を読み解いて、宗達のお茶の儀礼や作法の本質を学び、皆さんに伝えたいと思っています。
職業病:抹茶を習慣的にほぼ毎日飲みます。茶碗を両手で抱えたあの温もり、そしてあつくて香り高い抹茶を飲んでいる時間。そこに今までの経験、思い出を浮かべ、その一服の茶にかける提供者の様々な思いを想像します。私の一服は色々な喜びの重なり合った至福を感じる有難い時間で、常よりもゆっくり時が過ぎるような何とも言えない幸せを感じます。
安土桃山時代に千利休が侘び茶を完成させ、以降日本では茶文化が発展していきました。速水流は、江戸時代中・後期、茶人・速水宗達が創始した流派です。宗達は、日本の茶の湯の起源から侘び茶にいたるまで、お茶の経緯を学究的に追究し茶博士とも呼ばれました。起源を学んだことから、東山文化の茶の湯の点法とその茶道観を再興し、それを光格天皇が評価。「速水流」が確立されました。速水流は、既存の礼式と流祖自身で考案した礼式があるため、習得するお点前の数が他の流派に比べてとても多いと言われています。宗達は「茶道とは、茶を介して人と人とが心を結び、絆を深める礼式」と提唱。現在も継承されています。
速水流茶道は物事の真髄を見つめる道
流祖の速水宗達は「敬和清寂」を茶道理念としました。茶の世界には以前より「和敬清寂」という言葉があり、それを「和」の本質は「畏敬」から生まれるという意味へ変えたのです。昔から神や自然を畏れ敬っていたように、畏敬があるからこそ他人を思いやることができる。畏れがなくなると、自らのやり易いように自己主張し白黒(敵・味方)といった枠をつけてしまいかねない、畏敬から真の和合が成立すると宗達宗匠は説いたんです。その「敬和」へと導くのが「清寂」です。「清」は川の上流のような清らかさを指します。上流は起源とも言い換えられます。「清」の空間というのは本質・起源を見つめる空間であり、そのためには「寂」の気持ちが必要だと意味しています。宗達宗匠は、「清寂」の環境に身を置き「和」の本質は「敬」だと行き着いたのではないかと思うんです。「清寂」は物事の真髄を見つめる重要で欠かせない空間であり心意気。速水流茶道が一番大切にしています。
清らかな空間で起源を語り合う
何事も上流に遡り起源を求める事が大事だと思います。下流では川の真底までは見えることはほぼなく、水面のキラキラ輝いている様子を楽しんでいる。つまり表面的なところで心が踊らされた状態。長いものに巻かれた川の流れに身を任せた浮き草状態。一方、上流は表や裏のない清らかなもの。つまり起源や真髄です。そこには正も悪もありません。実はお茶の作法は、この清らかさという真髄を伝えようとしています。例えば、茶室へ行く路地には立ち蹲(つくばい)などお清めの場所がありますし、帛(ふくさ)で棗(なつめ)を拭くのは、お茶を点てる人が清めるための作法。茶室に入る前に掃き清められた庭を通るのは、山登りのようなもので「清寂」を表現しています。作法の本質を見ず歴史ある作法を猿真似のように披露し非日常の空間を造るのではなく、心に繋がる入口となる「清らか」を意識し表現した作法を行い、さまざまな起源を語り合うのが茶の道の世界です。
京都で伝統の本質を伝えていく
京都には新しいものを日本風に変化させ引き立たせられる性質もある。正悪のない本質が根付いているからか、畏れ敬う力が働き、今の形にアレンジして融合していくんですよね。そう言っても伝統は形骸化してしまう危惧も併せ持ちます。形に一喜一憂せず、「清寂」に心を置き、少しでも疑問が生じたら解決するために恥をかいてでも尋ね理解することが重要。それが速水宗達の言う、古き伝統を学び向き合う「破智可幾渡古路(恥かき所)」の精神です。そうして心より楽しむものを求めるのが道の本質であり、無数にある偏った考えの清浄化にもなります。地位名誉は1代で失うことがあっても本質を失うことはありません。本質で人が繋がればなーと思ってます。伝統というのは表面的な社交の場として使われることが多いですが、社交に重きを置き過ぎて、本来の本質を伝えるための作法であるというのを見失わないようにしたいですね。茶道を京都で展開していきたいです。
“今ここ”を堪能するのが茶の世界
速水流の茶道では、見えるものと見えないものを「点」で合わせて全体として捉える。その考え方を茶の作法で表現しています。例えば「見えるもの=形」を磨き真玉を作る。それが帛での茶入を拭き清める作法。真玉=「点」です。また、茶筅打ちでは、茶筅を茶碗へ置いた瞬間に音が消えていく。それが見えないものの入口であり「点」。「点」は全ての物事の終わりと始まり=「今」を意味します。見える「点」見えない「点」を併せて「今」に集中するために先人が作ったのが、茶道の作法です。目の前のことに一生懸命になり、先のことばかり考えて不安を抱えている人が多いなか、月に1時間でもあったかいお茶をすすり、「足元見て。ちゃんと皆つながってるんやで。今この瞬間は意思疎通しあっている。この楽しい瞬間、悩みはないでしょう」と語り合う幸せな時間をとっていただきたい。「清寂」の時間を作り「今」という足元に集中するための点茶の作法でありその考えを広げていくことが、速水流八代目を継いだ私の使命だと思っています。
MOVIE
INTERVIEW
- 英語圏では「生きがい」が「IKIGAI」という日本語で流行していますが、この道に入ったのはどういう経緯からですか。
- 私は生まれが速水流の本家。父が7代目で、私は8代目となります。小さい頃からお茶のお稽古をしてお茶事をして…と自然と茶の世界に触れる生活でした。お点前のデビューは6歳でしたね。高校時代には「お前は仕事があっていいよなー」「将来を決められてるってかわいそうやと思うで」なんて言われたりもしました(笑) 大学に進学し「速水のお茶」を知るにつれ重たくて窮屈だと感じるようになりました。どうせこの家に生まれて、チャンスがあるなら宗達を紐解きたいと思うようになった。それが大学卒業前。そのままこの仕事をしているという流れです。
- 速水宗達について、ご自身でどう紐解いて学んでいったのでしょうか。
- 速水流は口伝ではなく文字、いわゆる書物で伝承されてきました。2代目、3代目と時代が変わるなかで、初代がしてきたことが合わなくなったり、「私はこの方がいい」というような人も出てきたりと変化していく。口伝だと書き換わっていくんですよね。そうすると浮草みたいに表現がその場しのぎのものになってしまう。そうならないように、流祖は朱書きで書き加えていくようにしたんです。たとえ僕が時代に流され変えてしまっても、次の代の人が、流祖の言葉があれば起源に戻ることができるし、「この時代はこういう風が吹いていたんやな」と時代の流れも理解することができる。それこそが足元、本質であり「道」と指し示すものです。
- お点前を体験したときに、話している雰囲気から一転し空気が張り詰めたような変化を感じましたが、そのような空気は茶道で大切なことなのでしょうか。
- 私たちの気が深く繋がった瞬間でしたね。張り詰めた空気=「真剣」は道の世界で深く求められるものです。作法はじめ色々な現象には「真行草」という形があります。真の空気感は気が張り詰めピリピリしている状態で、草は気の緩まったリラックスしている状態。「真剣」は真の状態です。私もかつて苦手でしたが、緊張の空気って息苦しく嫌なイメージがあります。ですがそれは表面的な感覚です。「清寂」の中で相手に向き合っていると、ふと相手の心の奥深くのチャンネルと共鳴した感じになることがあります。そんな真のやりとりは、会話の必要がない心地の良い空間です。余談ですが、挨拶も同様に大切です。お稽古では必ず挨拶を最初に行い、真の形で関係を始めています。
ABOUT THIS DIALOGUE
グループ料金 | ¥ 350,000 |
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参加人数 | 1~4名 |
実施時間 | 10:00~13:00 or 14:00~17:00 |
キャンセル規約 | 開催日の7日前以降のキャンセル料は100% |
お支払い方法 | クレジットカードのみ |
応募条件 | 18歳以上 (保護者同伴の場合、12歳以上可) |
予約期限 | 対談日の7日前まで |
当日の流れ | 1. ホテルまでお出迎え 2. 現地到着 3. ブリーフィング(約30分~約1時間) 4. ダイアローグ(約1時間) 5. ホテルまでお送り |