紗月
元 祇園甲部 芸妓
PROFILE
PROFILE
紗月
1994年7月25日 しし座
座右の銘:「いつでもニコニコしてよし」。置屋のおかあさんが教えてくれた言葉です。ほっとして気を抜いたときでも絶えず笑顔を忘れないようにしています。
職業病:京都弁ですね。おはようございますは「おはようさんどす」ですし、「お先どす」などもつい出てしまいます。
約350年前、北野天満宮や八坂神社の門前町で、参拝客にお茶や団子をふるまった女性が舞妓の始まりだと言われています。徐々に、舞や歌を披露するようになり、かわいい着物を着せるようになりました。置屋(舞妓の生活とプロダクションを兼ねているところ)にて年季奉公をし、話し言葉を京ことばにすることなど厳しく指導を受けながら舞妓を目指し、5~6年後に芸妓としてデビューする、もしくは引退することが一般的。京都には五カ所の花街(祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東)があります。紗月さんはそのなかで7年連続「売花奨励賞一等賞」を獲得した伝説の芸妓。2021年の引退まで祇園甲部で芸を磨き続けました。その後結婚、出産を経て「京都」「花街」「きもの」に造詣の深い文化人として活動しています。
花街に育ててもらったからいまの私がいる
七五三では着物を「脱ぎたくない」というほど、幼い頃からの着物好き。毎日着物を着る舞妓に興味を持ちました。中学時代に1年間利尻島へ海浜留学をして、親元を離れる自信をつけ、この世界に飛び込みました。
芸舞妓時代は、昼に舞の稽古、夕方からはお座敷で舞の披露という日々を過ごし、21歳で自前の芸妓として独立しました。今までは着物などは置屋のおかあさんにすべて用意してもらっていましたが、自前になるとすべて自分。悩みましたね。ですが憧れの芸妓のお姉さんの背中を追いかけました。売花奨励賞一等賞(五花街の始業式で売上上位の芸舞妓に与えられる賞)を7年間いただき、TV番組への出演やファンミーティング、タイ・プーケットでのマラソン、タイ政府観光庁観光誘致ポスターモデルへの起用など、さまざまな経験をしてきました。今思うとすべてが出会いのおかげ。「持ってるなー」と思います。
会うことで築く“うっとうしい”人間関係
私は大阪で生まれて15歳から京都にきました。今では大阪よりも京都のほうがホッとするようになりました。京都は人間関係も町並みも「深い」と思います。引退して東京に2年住んだときに、「あっさりしてる」って思ったんですね。自分は自分という感じ。それが花街(かがい)引退後は楽だったんですけど、ちょっと寂しかったりもして。人との距離感、あたたかさみたいなのが、また大阪とも違うように思います。京都の敷居が高いと言われるゆえんでもありますが、町の規模も大きくなくすぐに行ける距離にある。だからこそ顔を合わせることが大事。「もう、あんたうっとうしいえ」って言われると、かわいい、嬉しいと思ってもらってるという(笑) 人間関係の深さは京都独特のものがありますね。舞妓・芸妓というお仕事も、たくさんの人がいて回っていますしね。
エンドロールのような、作り手が織りなす花街(かがい)の世界観
芸舞妓は一人では成り立たない。置屋、お茶屋のおかみさん、先輩芸妓のお姉さん、料理人さん、タクシーの運転手さん…皆の力があわさってあの世界観ができあがるんです。誰もが知るような有名人でも、「僕のことは知らんのやな」と思えるような異空間。その特別な夜に思い出を持って帰っていただくのが祇園の花街という場所です。お客様の情報がトップシークレットであることも、花街で昔から守り続けてきた。それが祇園の良さなんです。私はもう一度生まれ変わっても花街にきたい、芸舞妓になりたいと思っています。ですので、厳しさや辛さではなく、楽しさや素晴らしさを発信して広めていきたいと思っています。芸舞妓って、「なりーや」でなれるものじゃなくて、本人が「なりたい」と思わないと。
伝統文化の担い手である芸舞妓の良さを発信したい
芸舞妓の成り手は減っていないのですが、置屋は減っています。着物、おこぼ、櫛、おしろいなど道具を作れる職人さんも減っています。東京の芸者さんは「京都にかなうものはない」と、壊れてもわざわざ京都まで直しにくる。それほど質がいい。ですが、需要が少なく「これで最後ですので大事に使いましょう」ってこともあるんです。以前棒紅を作らないということもありました。そのときは歌舞伎役者の市川團十郎さんが声をあげてくださって、作ってもらえるようになったんです。歌舞伎でも使いますしね。函枕(舞妓の結った髪を崩さないようにする高い枕)など舞妓しか使わないものもあるので、文化の担い手でもあると感じます。伝統文化は人がいてはじめて循環していく。守っていきたいですね。
MOVIE
INTERVIEW
- 芸舞妓の仕事で一番幸せだった思い出は?
- 日々、いろんな方に会えたことが最高の思い出です。世界を股にかける大社長やCEOというような、学生をしていたら出会えなかったような方にも、「10代の女の子」ではなく、芸妓・舞妓として接してもらえる。踊りの稽古でどれだけ怒られても、「お座敷あるしがんばろう!」ってリセットできました。「都をどり」の後にお座敷に呼んでくれて「今日きれいやったよ」など言ってもらえることも嬉しかったです。
- 舞妓さんとして劇場で公演をしていたのですか?
- 「都をどり」で数えきれないほど出演しました。1日4回公演を30日間、120ステージです。都をどりがある4月はアドレナリンがいっぱい出ます。そのために3月は1ヶ月まるまる稽古をします。日によって舞ったり、笛を吹いたり、お茶を点てたり、鳴り物をしたり。もし推しの子がいるなら都をどりの期間中最低4回は見てもらわないといけません(笑)
- 引退して、どうやって芸舞妓の文化を伝えていきたいと考えているのですか?
- 現役ではない人がでしゃばるのもよくないので、塩梅が難しいなと感じています。本当はYoutubeなどで発信して拡散できるといいんですが、格を落としてしまうといけないので、自分が体験してきたことをお話して伝えていくのがいいのかなと思っています。ちなみに「都をどり」はコロナ明けからYoutubeで観られるようになったんです。祇園祭や年始の顔見世興行なども発信していますよ。
ABOUT THIS DIALOGUE
グループ料金 | ¥ 350,000 |
---|---|
参加人数 | 1~4名 |
実施時間 | 13:00~16:00 |
キャンセル規約 | 開催日の7日前以降のキャンセル料は100% |
お支払い方法 | クレジットカードのみ |
応募条件 | 18歳以上 (保護者同伴の場合、12歳以上可) |
予約期限 | 対談日の7日前まで |
当日の流れ | 1. ホテルまでお出迎え 2. 現地到着 3. ブリーフィング(約30分~約1時間) 4. ダイアローグ(約1時間) 5. ホテルまでお送り |